13回目のShintoku空想の森映画祭は9月15日無事に終わりました。 私にとっては忘れられない映画祭となりました。
第一回目のこの映画祭にお客さんとして参加して、初めてドキュメンタリー映画をスクリーンで見ました。ドキュメンタリーって何て面白く豊かなんだろうと思ったのでした。
そして、大人たちが心底楽しんでいる姿に、こんな大人もいるんだ、世の中捨てたもんじゃないと思ったものです。
この映画祭がきっかけとなり、映画祭を立ち上げたドキュメンタリー映画監督の藤本幸久さんの映画のスタッフとして、2本の16ミリ映画に関わりました。(『森と水のゆめ』、『闇を掘る』)それと同時に空想の森映画祭のスタッフとして、映画祭をつくってきました。
映画祭では、仲間と共にやりたいことをずいぶんやってきました。大変な思いもしましたが、本当に面白かったです。
1996年、一回目の空想の森映画祭で初めて見たドキュメンタリーは「阿賀に生きる」です。私と友人3人で、上映実行委員会を立ち上げ(ブラボー!茂の会)『阿賀に生きる』の上映会を開催し、キャメラマンの小林茂さんをお招きしました。音更町文化ホールに250人を集客しました。 そして引き続いて、帯広の藤丸デパートで5日間、小林さんの写真展「ウガンダに生まれて」も開催しました。
2002年、私自身が映画をつくることになりました。7年間の格闘の末、 2008年3月、ようやく『空想の森』は生まれてきました。
今年、これをやっと、新内ホールでスタッフと共にお披露目することができました。
会場はお客さんで埋め尽くされました。私は見ている間じゅう涙が止まりませんでした。撮影の時のこと、撮影ができなかった2年間のこと、編集の時のこと、スタジオでのダビングの時のこと、パンフレットをつくっていた時のこと、英語字幕の作業の時のこと・・・色んな思いが蘇ってきて泣けました。
スタッフ3人にとっても、今回の映画祭は特別でした。私たちにとって、別れと旅立ちの卒業式のようなものでした。これから3人、それぞれの道を歩いていく、その出発の日でした。
私たちが映画と格闘した7年間はしっかりと作品に刻み込まれています。録音の岸本君、撮影の一坪君は、これからも一生私の大切な仲間です。私はかなりさみしかったけど、笑って別れることができてよかったです。
私は『空想の森』と、それを支えてくれたすべての人と共に、歩き出します。
映画ができてから、上映を通して様々な人たちと出会いました。そして色んなことを考えさせられています。
こんな人も出てきました。東京のポレポレでこの映画を見た人が「自分の町で、『空想の森』の上映会を仲間といっしょにぜひやりたい。」と私に連絡をくれました。
かつて私が『阿賀に生きるを』見て仲間と上映会をしたように。 こんな嬉しいことって他にはありません。
田代陽子