<一坪悠介(撮影部)の撮影記録>
2005年9月24日、土曜日。
その日の朝、僕は鮮烈な陽の光で目が覚めた。
窓からのぞく空は海のように青かった。
本番にとっておきたい天気だと思った。
監督の田代さん、録音の岸本さんと撮影の僕の三人は手の込んだ朝食の後、田代さんの愛車に乗り込んでロケハンに繰り出した。
今回のロケは「空想の森」のラストシーンの撮影。
内容は一風変わっている。
軽トラックに乗り込んだ被写体の方々が、各々の持つ楽器を演奏しつつ馴染みのある場所を巡り、それを撮影させてもらうというもの。
この作品はドキュメントであるけれど、今回は狙いを定めて意図的に場を作り撮影する。
非常にイメージ的で作品全体をぐっと引き締める役割を持つ。
ラストシーンに関しては、これまで三人で事ある事に幾度となくイメージやアイディアを話し合ってきた。
どこで撮るか、どう撮るか。車の中で再確認しながら予定していた場所に向かった。
まず最初に訪れたのは新得バンドの練習小屋。
楽器を軽トラックに積み込む所を撮るのが狙い。
それをロングで撮るととても味のある風景になると僕は想像した。
問題は日の角度だった。朝一では小屋で軽トラックが陰になってしまう。
撮る時間帯をずらすことも考えられたが、田代さんは「小屋は出だしだから最初に撮りたい」と言う。
僕も同感だったので、軽トラックの位置を変える方向で考える事にした。いくつか試しにカメラを回し、次の場所へ。
共慟学舎の牧草地。急勾配の芝生は意外と体力を奪ったけれど、登る価値はあった。
牧草地の頂上から一望する新得の大地からは命の息吹を感じた。
陽光と蒼天も完璧だった。
雪のように白く流れる雲は風景に立体感を与える。
この景色の中に音楽と彼らの軽トラックが流れていく模様を思うと心が躍る。
逆光はしんどいけれど、明日もこの天気が続くことを願った。
隣で岸本さんが肩で息をしながら同じことを言った。
続いて学舎の山道を田代さんの愛車で駆け下りる。
予定では前を被写体の方々が乗った軽トラックが走り、それを僕と岸本さんが乗った別の車で追いかけて撮ることになっている。
木々の枝をくぐって顔をだす陽光が愛らしい。
ビニールハウス、畑、牛舎とチーズ工房、食堂前、ミンタルの前の一本道などを見て回り、意見がまとまったところで新得駅と商店街へ向かった。
途中、本番で時間を節約するためにおむすびを作ることで話が決まった。
新得駅。内部はとても雰囲気のある建物だ。
暖かさを感じる。建物の中から窓越しに狙えないかと考えてみた。
商店街。ここまでのロケハンでアングルに制限があることを感じ、僕は俯瞰で撮りたくなった。
見回してみると、洋服屋「ゆあさ」の立派な屋上が目に付いた。
そこからなら新得駅と商店街を入れながら軽トラックを撮れる。僕が屋上を見ていると、それを察した田代さんは迷わず即刻交渉しに行ってくれた。流石である。
このまっすぐで前面的な行動力が田代さんの力だと思った。
「ゆあさ」さんも快く許可してくれた。
国道。まっすぐな感じが僕は好きだ。
左右には畑や牧場が木々とともに流れていく。
山田家も見える。
広大な新特の大地を駆け抜ける。ここも後ろから付いて撮る予定だ。
宮下邸と横の一本道。
ここはずっと前から僕の中のイメージにあった。
真冬に初めてここを訪れたときから、季節は巡るが時間は停まった神聖な領域にいる錯覚に陥る。
世界が変わってもここだけは変わらないような気がした。
ここを撮るときは宮下夫妻には畑で作業をしておいてほしいと思った。
被写体の方々も宮下夫妻を見れば間違いなく声を掛け、手を振るだろう。
宮下夫妻も手を振り返すだろう。想像して楽しくなった。
ここは被写体の方々の軽トラックに僕が乗り込んで、顔のアップを狙うことも考えた。
また、少し離れたのぼり道から大ロングも撮る予定。
新内小学校と柏の木。ここは特別だ。
大勢の人々がここに集い、結びついた出会いと思い出の場所。
僕はその時その場にはいなかったけれど、田代さん、岸本さん、被写体の方々からよくその話を聞いて、映画祭でそれを実感した。
どんな時もあの柏の木は皆を見守っている。
ここで被写体の方々を撮らない訳にはいかない。
シンプルにロングだな、とその場にきて確信した。
最後に、いつも合宿所としてお借りしている故小川豊之進さんの家の前の道でロケハンを行う。
颯爽とカメラの前を軽トラックが駆け抜けていき、坂の上に消えていくのを狙う。
車道にカメラを据えることになるのでタイミングが難しそうだ。
ここは最後に撮る予定なのできっと夕方だろう。上手くいけば美しい陽の中、きらきら光るような光景が撮れると思った。
その後、別の場所を見て回った。
美しい風景がその辺りは多かったけれどあまり縁のない所だったのでよいアイディアは思い浮かばなかった。
時間があれば撮りにいくこととなった。
合宿所に戻り、もう一度撮影予定地と順番を確認した。
すると予想以上にショットの数が多かった。
撮り終えられないのは目に見えていたので、3人で頭をひねりながらカット数を絞り込んでようやく決まった。
その晩は宮下夫妻、美和さんと晩御飯をご一緒する事になっていた。
飛び入りで西村さんも訪れてくれた。
晩御飯を食べながら明日の昼ごはんとなるおむすびを作った。
ノルマはひとり6個。
3人で18個。
三人三様個性的な米団子が完成して撮影の準備は整った。
2005年9月25日、日曜日。
窓の外を見上げて我ながら情けない声を出した。
この日は前日が見事な晴れだったことを疑わせるほどの曇りとなった。
しかも山田憲一さんが今日は仕事で参加できないこともあって、田代さんは輪を掛けて残念そうだ。
それでもスケジュールの関係上、撮らなければならない。
雨が降らなかったのだけは救いだった。
曇りならかえって幻想的な雰囲気がでるかもしれない、と前向きに考えて撮影に臨むことにした。
ぽつりぽつりといつものように被写体の方々が集まってきた。
僕と岸本さんは、スチール担当の箕浦さんが運転する山田憲一さんの軽トラックに乗り込み、撮影場所に先回りすることとなった。
荷台に乗ってみるとそれはそれはすさまじい振動。命綱は必須だった。
田代さんは被写体の方々が全員そろったところで宮下さんの車で後を追う手筈になっていた。
最初は新得バンドの練習小屋。
曇りのおかげで影はなくなったので、予定していた場所で僕と岸本さんは田代さんからの連絡を待つ。
軽トラックがやってくるところからカメラを回し始め、小屋から楽器を積み込むところを全員が1ショット内に収まるよう手持ちで狙うつもりだった。
しばらくして田代さんから電話がかかってきた。
岸本さんが応答する。
新得駅の踏切を越えたという報告だった。
一発狙いでいつ被写体が来るか分からないときは、いつも岸本さんのマイクが頼りとなる。
車の音が近づいてくると岸本さんは僕の肩をたたいてくれた。
僕はRECボタンを押す。
この日最初の撮影が始まった。
宮下さんの軽トラックが角を曲がってやってきた。
陽気な声と太鼓の音が聞こえる。
小屋の前で軽トラックは停まった。
乗っていたのは山田聡美さん、あかりちゃん、山田圭介さん、定岡美和さん、西村嘉洋さん、西村有里さんの6人。
皆の楽しそうな笑顔と笑い声に加え、全員毛布やジャケットを着込んできているので、寒くて曇っているにも関わらず、逆にとても暖かい雰囲気が辺りを包み込んでいた。
到着したときはあかりちゃんのことで盛り上がっていた。
皆とても楽しんでいるようだった。何故だか分からないけれど、豊かな人たちだなとファインダーを通して思った。
それぞれ楽器を小屋から出し、談笑しながら準備が進められていく。
最初の予定では1ショットずつ被写体の方々に協力してもらいながら撮ろうと思っていたけれど、気が付けばいつもと同じ関係で自然と撮影をしていた。
むしろそれでよかったと思った。
被写体の方々が楽しんでくれているのを僕らは周りからそっと撮らせてもらった。
この場所最後のショットはロング。
太鼓の音とヤンさんこと西村嘉洋さんの「あ〜」という奇妙な声を残して軽トラックは発進していった。
次は共同学舎の食堂前での撮影。
その日ちょうど食堂にいた宮島望さんたち3人の方にベランダに出ていただき、食堂前の道を軽トラックが駆け抜けていくところを撮影した。
ベランダの人数が少ないのは予定外だったけれど、それがかえっていい味を出していた。
宮島さんの朗らかな声がいい余韻となった。
このカットは僕のカメラ操作の失敗で2回撮る羽目になってしまった。
2回目をお願いするのは何とも情けない気持ちである。
まだまだ練習が足らないなと反省した。
そのまま次は牧草地沿いの山道を登っていった。
下りで被写体の方々の軽トラックを後ろから撮る予定だったけれど、皆のテンションが高まっていると感じたので登りから下りまで一気にカメラを回すことにした。
途中、牛たちに被写体の方々が手を振るところが撮れたり、一瞬雲間から日が指したりといい感じでいけたと思った。
何故かは分からなかったけれど、被写体の方々は「そば、そば」と歌っていた。
ミンタル前で小休止。
その時、僕はヤンさんに憲一さんの赤いニット帽を被らせてもらった。似合うとおだてられ、僕も気に入ってしまったのでそれ以降ずっと被って撮影をさせてもらった。
さて、学舎前の一本道で僕は被写体の方々の軽トラックに乗り込み彼らのアップを撮らせてもらった。
残念な事に僕が乗る位置を誤ったため、ヤンさんの顔をいい位置で撮る事ができなかった。
惜しいことをしたと悔やんだ。
直後に、一本道にある小さい橋を軽トラックが駆け抜けるところを撮った。
音楽と共にゆっくりと左から右に軽トラックは抜けていった。間抜けな感じが笑いを誘った。
ここまでで、予定より1時間遅く開始したにも関わらずほぼ予定通りに進んでいた。
昼を少し回るけれども、新得駅と商店街を撮った後に昼食をとることとなった。
駅での撮影は残念ながら概ね失敗となった。
屋内からいざカメラを構えてみると、建物の前にある看板が障害となって外がよく見えなかった。
次に決定的だったのは窓が高すぎて軽トラックの屋根しか見えなかった。もう一度撮影したけれど、これは無理だと早々に諦めて逃げるように駅から飛び出した。
岸本さんには笑われてしまった。
つぎに、商店街を駆け抜けていく軽トラックを撮影した後、僕らはそのまま洋服屋「ゆあさ」さんへと向かった。
ご自宅の玄関を通らせていただき屋上へ抜けた。
想像していた以上に商店街が一望できるいい屋上だった。
駅のロータリーから出てきた被写体の方々を乗せた軽トラックを手持ちで追いかけた。
被写体の方々のテンションは今だに高いようだった。
「ゆあさ」さんから出てくると、表で田代さんと被写体の方々が僕らを待ってくれていた。
どうも「そば祭り」が近くで開催されているようで、昼飯をそこで食べることとなった。面白くなりそうだったので、僕もその軽トラックに乗り込んで撮影する事にした。
「そば祭り」へ向かう途中、やはり「そば、そば」と皆延々歌っていた。
会場に近づくにつれ人が増えてきた。
僕らが乗った軽トラックは太鼓を鳴り響かせながら「そば、そば」と騒いでいるので、その場にいた人々の視線を一身に集めながら進んでいった。
変なテンションで被写体の方々は楽しんでいるようだった。
つつましい会場では大勢の人たちでにぎわっていた。
残念ながらそば屋は全て行列ができていた。
並んでいる時間はなかったので、我々が用意したお結びを食べた。
やはりおむすびは食べているうちに全て崩壊してしまった。
それでも皆さん楽しんでいただけたようなので何よりだった。
後半の撮影は再び共慟学舎から始まる。
移動中、徐々に太陽が顔を出し始めた。
僕らが牧草地の頂上に着く頃には、すっかり晴れ模様となった。
ここは晴れでどうしても撮りたかったので、新得の山々に感謝した。
ここでは箕浦さんも軽トラックに乗り込み、被写体の方々の写真を撮っていた。
晴れた空、緑深い木々たちの横を軽トラックが音楽を流しながら走っていった。
牧草地から食堂前に降りるとき、流れ行く木々の隙間から輝く太陽を荷台から撮影した。
僕はこういう太陽が一番好きだ。とてもすがすがしい気分になる。
聡美さんがあかりちゃんのおしめ交換をしに食堂へ行ったのでここでまた小休止。
するとヤンさんがギターで静かに演奏を始めた。
僕は音楽の事は良くわからないけれど、ヤンさんのギターにはいつも惹きつけられる。
なんだか特別な力が宿っているような気がする。
ぽかぽかした陽気と音楽で山田圭介さんはうたた寝を始めた。
西村有里さんと定岡美和さんはリラックスして聞きほれていた。
僕と岸本さんはすぐに撮影を始めた。田代さんを見ると、この場を撮ってくれといわんばかりの笑顔でこちらを見ていた。
田代さんと息が合ったのも嬉しかった。
何だか日曜日の朝に二度寝をしているかのように気持ちのいい時間だった。
聡美さんとあかりちゃんが戻ってきたところで一同は国道へと向かった。
再び後ろから追いかけた撮影となる。
共慟学舎前の一本道を曲がったところでカメラを回し始めた。
思いっきり晴れた空が我々の前に現れた。
撮影中にも関わらず思わず僕は感嘆の声を漏らした。
まるで新得の大地に祝福されているかのような光景だった。
国道。
ここでも空は晴れ渡っていた。
山田夫妻の家を過ぎ、憲一さんの働く牧場も流れていき、どこまでも続く道をひたすら走る。畑の重機が雄々しい。
とても気持ちのいい雰囲気だった。
すると一台の車が僕らの軽トラックを追い抜いて前の軽トラックの間に割り込んできた。
危険な幅寄せの後、罵声を残して去っていった。
車道の脇に車を止めると、詰まっていた後ろの車が次々と走っていった。
我々のせいでかなりの渋滞を起こしてしまっていたらしい。
警察から許可はもらっていたのだけれど、やはり迷惑をかけてしまっていたようだ。
何にしても怪我人がでなくて本当に良かった。
次は宮下家の前にある一本道での撮影だった。
この場所での撮影は、最初に田代さんからこのシーンの話をされた時から撮りたいと思っていた。それだけにとても楽しみでもあり、緊張もしていた。
その前に、国道からの曲がり角にあるそば屋でトイレ休憩を取った。その間に田代さんは、宮下夫妻に道路の左側の畑で仕事をしておいてもらうようお願いをしに行った。
車を走らせながら宮下夫妻を撮るためだった。
傾きかけた日の光を浴びて、ヤンさんと圭介さんがじゃれあいながらトイレから帰ってきた。
森の妖精が酔っ払ってじゃれあっているかのような幻惑的な動きだった。
それを見ていた皆は暖かい笑い声をあげた。
その後、各々の持ってきた楽器で軽いジャムセッションが自然と起こった。
体と心が温まってきた。
被写体の方々のおかげで余計な緊張が消えた気がした。
準備が整ったところで出発した。
まず後ろから軽トラックを追いかけた撮影を行った。
この一本道はいつも静かで時間が停まっているような感じがする。
夕日を浴びて森が金褐色にざわめいていた。
被写体の方々は穏やかな曲を奏でている。
プロデューサーの藤本さんと故名犬ハッピーの家の前を過ぎて、緩やかなカーブを曲がると宮下夫妻の畑と自宅が見えてきた。
宮下夫妻は予定していた場所で畑仕事をしてくれている。
被写体の方々は手を振って親愛の挨拶を送った。
両手を挙げて宮下夫妻も応えた。イメージしていたショットが撮れて、僕と岸本さんのテンションが上がってきた。
ここはもう一度引き返し、今度は宮下夫妻のミドルショットで同じ事を繰り返した。
宮下さんも文代さんも、とても楽しそうで爽やかな笑顔をしていた。
「アホやな〜ホンマに」という言葉が宮下さんらしい。軽トラックが去ると、二人は畑仕事に戻った。
すぐにいつもの宮下夫妻のやり取りに戻ったのが微笑ましかった。
しばらくして被写体の方々を乗せた軽トラックが引き返してきた。
しばし宮下夫妻と皆で談笑した。
僕の位置からでは何について盛り上がっているのかは分からなかったけれど、後で田代さんから聞いた話だと、宮下家の畑で取れた下半身裸の人型にんじん(男女)について文代さんが大興奮とのことだった。
次に、一本道を走る被写体の方々を乗せた軽トラックに並走して撮影した。
こういうシーンではこのショットは必ず必要だと思った。
背景には光り輝く夕日と走り去る森の木々。
僕はずっとファインダーをのぞいていたくなった。
幻想的な光景だった。
計画では一度車をとめ仕切り直す予定だったけれど、雰囲気は途切れていなかった。
田代さんも僕もそう考えていたので、カットをかけずそのまま新内小学校までカメラを回し続けた。
柏の木の周りをぐるぐる回ったところで、我々が乗っていた方の車が大きな溝にはまって激しくゆれた。やむなくカットとなった。転落するかと肝を冷やした瞬間だった。
そのまま柏の木での撮影を行った。
この場所は見ている観客に印象付けたかったので、シンプルにその場が分かりやすくするため柏の木と新内小学校がいっぱいに入るまでカメラは引いた。
音楽が近付いて来て、左から軽トラックが入ってくる。思い出の柏の木を2周すると、芝生の上を跳ねながらこちらに向かって走ってくる。
音楽も大きくなる。
カメラの目の前を横切って車道へと去っていった。
乗っていた美和さんの笑顔が楽しそうで印象的だった。
ここにきて空がまた曇り始めてきた。
山の近くは本当に天気が変わりやすい。
あと大ロングとラストショットを撮ったら終わりだったのだけれど、なかなか難しくなってきた。先に大ロングを撮り、晴れるのを待ってラストショットに行く事に決まった。
大ロングは登り道の途中から宮下家前の一本道を撮った。
見苦しいと思っていた巨大な送電線もかえって壮大な感じだ。
フレームでは米粒ほどもない軽トラックが一本道をゆっくりと走っていく。
しかし面白い事に音楽は聞こえてくる。
曇ったのは残念だったけれど、雰囲気のあるショットが撮れたと思った。
ラストショットの準備を終え、やむなく天気待ちとなった。しかし一向に晴れる気配はなく、日没も近づいてきた。
良くないことだけれど気持ちが焦ってくる。
何とか撮りたかったので、日はあたっていないけれど、保険として一度撮ることとなった。
しかし、カメラが車道に出ているので、被写体の方々を乗せた軽トラックがこちらにくる前に何度かカメラが逃げなければならなくなった。なかなか上手くいかない。そして、そうこうしている内に日没が訪れた。
残念ながらラストショットは撮れなかった。
でも、今にして思えば逆にそれはそれで良かったような気がした。
この日は山田憲一さんが参加できなかった。
全員を撮る前にこの映画の最後を撮るな、と新得の大地に説教されたのだろう。
次回のロケでもう一度何とか撮影を行うと田代さんも決めていたようなので、残念だったけれど気落ちはしなかった。
今回のことも踏まえて、次に臨みたいと思う。
機材をしまい、使った楽器を整理し終えて今回のロケは無事終了した。
打ち上げ。合宿所に帰ってくると、被写体の方々は流石に疲れたようでぐったりしていた。
僕たちは簡単な料理とお酒でつつましい打ち上げを始めた。
少し呑んだところでヤンさんと圭介さんはすぐに横になってしまった。
撮影中にだいぶお酒を呑んでいたらしい。
あのテンションの高さに敬意を表し、風邪をひかぬよう二人に毛布を掛けた。
しばらくして、仕事を終えた憲一さんがやってきた。
皆で今回のラッシュを見た。
どんな反応がくるかとドキドキしていたけれど、被写体の方々はとても楽しんで見てくれた。
狙い通りにいったところも行かなかったところも色々あったけれど、彼らに喜んでもらえ、楽しんでもらえ、優しく受け入れてもらえただけでも本当に嬉しかった。
また新得にきたいと思った。また撮りたいと思った。
最後まで和やかで暖かい空気に包まれた一日は、皆の笑顔と笑い声で締めくくられた。
<今回の撮影を振り返って>
実は、僕がこの「空想の森」というドキュメント映画に積極的に参加したいと思ったのは、初めて田代さんとお会いしたときに今回の撮影の話を聞かされた時だった。
田代さんはとても嬉しそうにそのアイディアを初対面の僕に語ってくれた。
まだこの場所、住んでいる人々、環境など何もわからなかったけれど、そんな田代さんを見て、自分も勝手に想像してみて、面白くなりそうだなと感じたのをはっきりと覚えている。
そして、そのシーンを本当に撮影できたことが嬉しくてたまらない。
正直に言って、僕の力不足で失敗したショットはたくさんある。
ラッシュを見て、何でこうしなかったんだろうと申し訳なく思うことが今回も多かった。
でもそんな僕は、この作品に参加されている被写体の方々からいつも力を頂いてきた。
皆さんが仲の良い仲間たちと語り、輝かんばかりの笑顔を見せてくれる度に、この人たちをもっと撮らせてもらいたいと心から思った。
元気が出てきた。
最後に、この大事な撮影を僕に任せてくれた田代さんに感謝したい。
このシーンを自分で回せたことも嬉しかったけれど、それ以上に田代さんに信頼してもらえた事が本当に嬉しかった。
また、この作品に誘ってくれた岸本さんにも感謝したい。
僕が下手したら一生知ることのできなかったであろう世界を覗かせて頂いた。
そして、数奇な巡り合わせによって被写体の方々の素晴らしい笑顔に出会えた僕は、本当に幸せ者だと思った。
<了>
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