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空想の森便り 第2号 2002年11月

映画「空想の森」便り 第2号
2002年11月
監督:田代陽子

 

10月3日〜13日の約10日間、空想の森映画祭以来、4ヶ月ぶりの撮影をしました。

この間、撮影をするための様々な準備をしてきました。

撮影していない時はどんな準備をするのか少し書いてみます。

 

【何を撮影するのかを決める】

前回のラッシュ(撮影した映像)を見て今まで撮ってきたもの、登場人物たちの今の状況などを考え合わせ、次に何を撮っていくのかを決めます。

これは主に監督の私の仕事であります。前回の空想の森便り1号で書いたように、私は主な登場人物のうちの二人が働いている新得共働学舎でいっしょに働きながら、次にどういうところを撮影していこうか考えていました。

そして今回は、じっくり一人の人に寄り添った撮影をしようと決めました。

今までの撮影で、あの人もこれもと盛り沢山の撮影をしてよかったところもありますが、じっくり落ち着いてものをみられなかったという反省もあったからです。

それで今回は、共働学舎の野菜の責任者になって2シーズン目、結婚して半年になる山田聡美さんの仕事と暮らしを撮らせてもらおうと決めました。

 

【製作資金をつくる】

映画『空想の森』はスポンサーがいない自主製作映画です。

すなわち製作資金は自分たちでつくらなければなりません。

映画『空想の森』をつくっているんです、「こんな映画をるくろうとしています。」と、

多くの人たちにまず知ってもらうことが大事なことです。

そして、こういう映画をつくりたいので製作協力金をお願いしますという旨の手紙を色々な人に出したり、映画『闇を掘る』の上映会の時に『空想の森』のラッシュを上映し、その映像を見てもらい、協力をお願いして資金を集めたりしています。

今現在、30人もの人たちから製作協力金をいただきました。

まだできていない映画にお金をだしていただき、これからもがんばろうと身が引き締まります。

 

【撮影機材をそろえてチェック】

映画の機材はキャメラ、三脚、ライト、ダット、マイク、ミキサーなど、色々あります。

どれも、たいがい大きくて重たいです。

私たちはほとんどの機材を会社や個人の方からお借りしています。

これらの機材をお借りしてきて、まずは正常に動くかどうか確認します。

撮影、撮影助手、録音など、それぞれのスタッフが自分の使う機材をチェックします。

ちなみに私はメカニックのことは苦手なので、基本的なことしかわかりません。

 

キャメラ

フランス製のエクレ−ルという16ミリのキャメラを借りています。

前回の撮影で故障したところを修理に出していました。

もどってきたらまず、きちんとキャメラが動くかどうかカメラテストをします。

1秒間に24コマきちんと動くか、ズームレンズの引きボケはないかなど、実際にフィルムで撮影して現像に出し、上がってきた画を見てチェックします。

現像所は東京にあるので、撮影したものが見られるのに時間がかかります。

 

画と音は別々に撮ります。

ゼンハイザーという高性能のマイクで音を拾い、ダットのテープに録音します。

離れたところからも録音ができるように、ブームという竿のようなものにマイクをくっつけたりもします。

後でこのダットから、シネテープに音を起し、画と音を合わせていきます。

 

照明

室内や夜の撮影では、ライトを使います。機動性のよいバッテリーライトなどをよく使います。

ビカビカに光が当たって見え過ぎるのも気持ちの悪いものだし、かといってよく見えないのも具合が悪いし、自然な感じの光にするのは難しいものです。

今回の撮影でもライティングに結構時間がかかりました。

どのようにライティングするか、これからも試行錯誤でよりよい光りをつくっていきたいです。

光と影は映画の最大の魅力ですから。

 

●田代陽子の撮影日記●

2002年10月3日〜13日 秋の撮影

聡美さんは結婚して半年になります。

仕事の方は、共働学舎野菜部の責任者になって2シーズン目。

土づくりから始まって、どういう野菜をどれくらいつくるかを決め、マルチを張り、苗をつくり、畑に植え、雑草を取りったり。

と、やることは山ほどあります。

大風にやられたり、太陽が出ない日が続いたり、自然にはかないません。

野菜ができてくる夏には、帯広への野菜の引き売りも始まります。

ワゴン車に野菜を満載して50キロほど離れた帯広市へ野菜を売りに行くのです。

春から息つく暇もないほど、何だかやることがいっぱいです。

その一方で、聡美さんはとても充実している風に私には見えます。

きっと結婚して二人になったからかなあと私は思っています。

聡美さんは結婚してから、よく私や友人たちを夕食に呼んでくれます。

この撮影の前に2、3回、山田家で夕食をご馳走になりました。

聡美さんがつくったおいしい野菜を、たいがいは帰宅時間の早い夫の憲一さんが料理してくれます。

彼が選んだ音楽を聴きながら、うまい酒を飲み、色んな話をしながら食べる夕食。お

呼ばれした私も幸せいっぱいになるのでした。

今回の撮影は、聡美のだんなさんの憲一さんにも協力してもらわないといけません。

私はそれまで彼ときちんと話をしたことがありませんでした。

今回は二人の夕食や憲一さんの仕事も撮影させてもらいたいと思っていたので、いきなりそんな撮影で嫌に思ったりしないかなど、少し心配していました。

彼に時間をつくってもらい、この映画のこと、今回撮影したいことなど色々話しをしました。

私は初めて彼とじっくり話してみて、結構面白い人だなあと思いました。

幸い、憲一さんはとっても協力的で、聡美さんといっしょにカメラの前に立ってくれることになりました。

 

2002年10月3日(木)

11:00PM。

大阪からスタッフ二人が宿舎である小川のじいちゃんの家に到着。

船で敦賀から苫小牧に到着し、プロデューサーの藤本さんが車で迎えに行ってくれた。

録音の岸本祐典、撮影助手の大塚伸之。二人とも大阪のビジュアルアーツの卒業生。

撮影小寺卓矢、製作藤本幸久、5人全員そろったスタッフで少し話してから就寝。

 

2002年10月4日(金)

8:30起床。朝食後、スタッフは宿舎の掃除。私は学舎へ野菜をもらいに行く。

私は聡美さんにお願いし、撮影の期間、野菜をわけてもらうことにしてもらった。

おかげで今回は、旬のおいしい野菜をメインのおかずに、毎日ヘルシーな食事をいただくことができた。

朝が早い撮影が多く、三食を自分たちでつくるのは大変だったが、美味しい食事をみんなで食べられたことが何よりだった。

特にカブ。

今年のカブは近年まれにみる美味しさでした。

ビロードのような舌触りに独特の上品な甘味。

私はほとんど中毒のように、聡美さんからカブをもらっては塩揉みを食卓に出していた。

 

聡美さんに時間をとってもらい、撮影の打ち合わせをする。夕方、スタッフみんなでオソウシ温泉へ行く。

露天が入れず残念だったが、相変わらずお湯は抜群。

行きがけ、TOMにおっちゃん(斉藤修さんといって今年の映画祭で窯をつくった人でTOMで働いている)の車があったので寄った。

「またみんなで窯を使って美味しいもの食べようよー」と私が言うと、

おっちゃんも「やろうやろう!」ということで10月13日(日)に新内小学校の校庭で釜パーティーをやることに決まった。

夜、映画祭のメンバーに窯パーティーの誘いの電話をする。

今回のロケの打ち上げにもなるし、ちょうどいい。ワクワクしてきた。

 

2002年10月5日(土)

8:30起床。11:00。森の映画社にて、ラッシュを映写機にかけてスタッフみんなで見る。

これは今まで約6時間撮影したものの中から30分ほどに私が編集したものだ。

プロデューサーの藤本さん、ラッシュを見ながら思ったことを話す。

夕方、山田聡美さん関係の今まで撮ったフィルムを撮影スタッフで見る。

夜、宿舎である小川のじいちゃん家で夕食をスタッフ全員で食べる。

 

2002年10月6日(日)

午後、撮影部はカメラテスト、機材チェック。

録音部も機材チェック。

私は山田家へ行く。

憲一さんと今回の憲一さんの仕事の撮影の打ち合わせ。

夕食後、今回の撮影項目の話し合いをする。

2002年10月7日(月)

〜憲一さんの仕事の下見〜

5:15AM、あたりは真っ暗。山田家へ向かう。

私たちの宿舎から車で10分ほどだ。

憲一さんの車について行き、北広牧場へ。彼の仕事の撮影のためのロケハン。

搾乳をしている社長さんにご挨拶し、朝の仕事を見させてもらう。

北広牧場は北海道の中でも大きな牧場だ。びっくりしたのが、臭いも少なく、掃除の行き届いたきれいな牛舎。

そして牛たちが人懐っこい。

300頭の牛を3回に分けて牛舎から搾乳室へ追い、搾乳の間、牛舎の掃除をする。

これが憲一さんの牧場での主な仕事だ。

これを朝晩、一日2回、一人でやるのである。

前に話だけは聞いていたけど、実際見ると牛はすごい迫力だった。

牛舎は4棟ある。

一群〜四群に分けられて、それぞれの棟に牛は入っている。

一群はあまり乳量の多くない牛たちが入れられている。

二、三群は乳量の多い牛。

四群はお腹の大きい妊娠中の牛で搾乳はしない。

現在搾乳をしている牛は325頭だ。

まず一群の牛たちからだ。パズルのようなゲートを開けると、だいたいの牛たちは搾乳室へ歩き出していく。

憲一さんはスコップを持ち、糞を通路に出していく。

「行くぞー!」などと声をかけながら、牛の尻を軽くたたいたり、時に蹴飛ばしたりスキンシップをしながら、遅い牛を追っていく。しばらくすると、今度は足で糞を蹴り出しいった。

なんで足でやるのか聞いてみると「スコップでやると手が疲れてもたないから。」とのこと。

私はてっきり、彼はサッカーをやっているからキック力をつけるために足でやっているのかと思った。

全長約150メートルもある大きい牛舎だもの、確かにこの大量の糞を手だけでかき出すことはできないだろうなあ。

通路に糞を出すと、今度は大きなショベルカーに乗り込む。

器用にシャベルを使い、中央の通路に糞を出していく。

その通路の糞を出し終えると、それを牛舎の中央の搾乳室の対面にある糞ため場へ運ぶ。

それを今度は壁を上手く使い、大量の糞を大型ダンプの荷台に入れて、たい肥場へ持っていくのだ。

ダンプでたい肥場に持っていくのも彼の仕事。

大きなダンプやシャベルカーを使いこなし、男の仕事だぜ!という感じだ。

乳量の少ない一群の牛の糞の量と、よく出る二群、三群の量はずいぶん違う。

よく乳を出す牛は食べる量も多く、当然出る量も多い。

 

そして牛たちが搾乳から牛舎へもどって来る前に、トラクターでおがくずを牛の歩くところに敷いていく。

これはクッションになることと、牛が滑らないようにするためだ。

おがくずを薄くまんべんなく敷いていくのだが、そのショベルカー使いは見事なのものだ。

そしてこの頃には搾乳がおわった牛が、牛の待機場にどんどん溜まってきている。

搾乳は一回に32頭づつ行われる。

スムーズに牛を牛舎へもどし、次の群を切れ目なく搾乳室へ連れていくことに最新の注意を払い仕事を進めていく。

一群の牛舎へ戻れるようゲートを開く。

きれいに敷かれたおがくずの上を歩き、牛たちは自分の場所へ戻って行く。

まっさらなおがくずの地面が、あっという間に牛の足跡だらけになる。

それから憲一さんは、今度は小さなシャベルカーに乗り込み、牛が食べやすいように餌を寄せてあげる。

もう一つ大事な仕事がある。

発情している牛の番号をメモすることだ。

これだけ頭数がいると、毎日必ず発情している牛がいる。

牛は21日周期で発情する。

発情時間は24時間。その時に人口授精し妊娠させる。

それを一回見のがすと21日遅れてしまう。

だから憲一さんはいつもポケットに小さなメモ帳とペンを入れている。

発情を見つけるとすぐに牛の耳識番号をメモし、後で繁殖係の人に伝えるのだ。

ものすごい声で鳴いている牛(けっこう恐い声だった)や他の牛の尻にのっかる牛が発情の印しなんだと私に教えてくれた。

だた気をつけなくてはいけないのが、発情していないのに他の牛にのっかたりする牛がいることだ。

発情したのにつられて同じような行動をとる牛もいるそうだが、確信犯のえせ発情牛もいるのだ。

「そういうことやる牛はだいたいいつも決まってるけどね。」と憲一さん。

全ての動きに無駄がなくきびきびと働きながらも、陽が上がって辺りが明るくなると、

時より顔を上げ、山の紅葉に目をやっている憲一さんが印象的だった。

この行程を二群、三群と行い、最後に待機場の掃除したら朝の仕事終了。

だいたい8時半くらいになっている。

真っ暗な中仕事を始め、最後の群の牛を追う頃ようやく陽が出てくる。

この牛舎は東側に山があり、この時期紅葉がとてもきれいだ。

憲一さんは、周りの景色を眺めながら仕事をするのがとても好きだと言う。

一日の間でも、早朝の暗い中からだんだん明るくなってきて周りの景色が見えてきて変化がある。

一年の間でも春夏秋冬と、季節ごとに景色の変化を楽しみながら仕事をしているのだろうなあ。

朝、毎日彼は誰よりも早く牛舎へ来る。

搾乳の係の人が来たら、すぐに始められるようにしたいからだ。

「自分の仕事は一人で大変だけど、自分のペースでできるから気に入っている。

5分早く仕事が進むと、それは大きな余裕になるんだ。」と憲一さんは言った。

北広牧場のロケハンを終え、共働学舎へ野菜をもらいに行く。

ちょうど朝食の時間。

撮影隊もいっしょに朝食を食べさせてもらう。

代表の宮嶋望さん、奥さんの京子さんもいらっしゃったので、スタッフでご挨拶をした。

食べ終わってから、撮影予定の大根、キャベツ、白菜の畑に聡美さんが行くと言うので、いっしょに行ってロケハンをしてくる。

いよいよ明日から撮影だ。

夜、明日の昼のお弁当のおにぎりをつくる。

 

2002年10月8日(火)

〜聡美さんの仕事、やさい屋の撮影

野菜の収穫、帯広への野菜の引き売りの撮影する。

6:45出発し、昨日ロケハンした畑へ向かう。

少し雲はあるが天気は上々。

聡美さんたちは8時頃この畑にくる予定だ。その前にカメラポジションを色々と考える。

キャベツ、大根、白菜、朝の光をあびて、ピカピカと実にみずみずしく美味しそうだ。

野菜を何カットかフィックスで撮影。遅れるだろうと思っていたが、ほぼ予定通りの時間に聡美さんが野菜ワゴンでやってきた。

ブロッコリー、キャベツを収穫し、聖護院大根を土から引き抜いていく。

手伝いの女の子が収穫したものをワゴンへ運んで行く。

白菜を鎌でカットし、外葉をとり、根元の芯の部分をきれいに切る。カットする音が、秋の朝に響く。

切る度にしぶきが飛ぶ。

本当にみずみずしい。

太陽を背に受け、聡美は満足そうな顔。

虫に食われているところは、鎌の先っちょでほじくり出す。

この畑は、夏に私が間引きしたところだ。

つい2ヶ月前はこの白菜たちは葉っぱがまだ3、4枚しかなかったのに。成長の早さに驚く。

大根を選びながら、どんどん抜いていく。

抜いた大根の先っちょのひげをちょきんとはさみで切る。切り口に黒い筋があるのは、売り物にならないのでよけるのだ。

大根の白い肌についた黒々とした土が印象的だ。

8時半。野菜の選別、包装する場所に、手伝ってくれる人たちが集まってくる。

それまでに聡美さんは、戻ってその人たちに指示しなくてはいけない。

この畑での収穫を終え、私たち撮影隊も撮影を終え、学舎へ戻る。

食堂でコーヒーをご馳走になり少し休憩。

選別場へ。まきちゃんはトマトの選別。

朝露にぬれたトマトを一個一個ふき、L、M、S、自家用、取り置き用に。

今日もたくさんのトマトが採れている。小さいのを一つ味見した。今日もおいしい。

小川君はとうきびの根元切りをしてコンテナに詰めていく。

仁木さんと佳子さんはねぎ、カブ、セロリなどグラム数を計ったり、新聞紙にくるんだりしている。

今日はいつもより行くところが増えて、10時20分には出発しないといけないと言っていた。

10時も過ぎると、聡美さんもなんとか早く出られるようにと焦っている。

いつもにも増してあたふたとしながらも10時半すぎには出発した。

この日のやさい屋メンバーは聡美さん、佳子さんと手伝いの女の子の3人。

撮影隊も車2台で追いかける。

私たちはまず、帯広市内のズコーシャという会社の駐車場へ。

ここで店を広げての引き売りの様子を見させてもらう。

空は雲が多くなってきた。肌寒く、あやしい天気になってくる。

ズコーシャでは結構お客さんでにぎわう。

聡美さんがやさい屋便りを手渡しながら「来週が最後のやさい屋です。」と伝えると

「あっと言う間だったわねえ。また来年よろしくね。なんだか師走みたい。」

とみんな同じようなことを言っていた。

人が切れて、出したコンテナを荷台に積み込み、移動の準備。

次に行く帯広友の会を撮影しようと事前に決めていた。

ここで、撮影の小寺くんがカメラを持って、ワゴンの助手席に乗り込む。

荷台に、なんとかスペースをつくってもらい、録音の岸本君がマイクを持って乗る。

佳子さんと女の子は私の車に乗ってもらう。

「新得町より、やさい屋がやって参りました。」というアナウンスから撮ろうということで、

スムーズに撮影をするには、と考えた苦肉の策。

別々の車で行くと、撮影の準備ができるまで、待っていてもらわなくてはいけない。

ただでさえ時間が押して急がなくてはいけないやさい屋に、撮影のために迷惑をかけたくなかった。

友の会には、約束の時間から10分ほど遅れて到着。

聡美さんはそのまま建物の周りをぐるっとまわりながらアナウンスをはじめる。

建物正面に店を広げる。

お客さんは待っていてくれた。

持ってきた野菜をひろげていると、たくさんの人が集まってくる。

大根、キャベツ、聖護院大根など、今朝採ったばかりの野菜が次々とお客さんの手に渡る。

聡美さんはお客さんと話をしながら、コンテナの野菜をよせていったり、空いたコンテナを車に戻したりしている。

雲が厚くなってきて、ぽつぽつ雨も降ってきた。

にぎやかにやさい屋が終わり、私たちはいったん聡美さんたちと別れて、次の撮影予定のみのさんのおばあちゃん宅を下見に行く。

その家の前は車通りが激しい。

天気は大丈夫だろうか。

そしてお腹がすいたので、向いのじゃんけんしんしんでラーメンを食べた。

やさい屋はみのさん宅に5時に来る予定だ。

時間まで少しあるので、私の自宅で休憩。

4時頃、私たちは撮影現場へ。

途中から雨が降り出す。

だんだん日が暮れてくる。

雨の勢いが弱くなってくる。

撮影の頃には何とか止みそうだ。

北の空にとてもきれいな夕焼け雲。みんなで眺めていた。

刻々と色が変わってくる。

やさい屋のやって来る時間が近づいてきたので、みのさんの家の前で用意をしていたら、おばあちゃんが出てきてしまった。

これまで何度かやさい屋で私に会っているので、私のことは憶えていてくれた。

聡美さんの仕事を撮影する旨を伝え、いつも通り買いに来て下さいと話す。

ここで撮らせてもらいたいと言うと快くOK。

すっかり日が暮れた5時きっかり、やさい屋はやって来た。

すごい、時間通りだ。

近所をぐるっとアナウンスしてから、みのさん宅前に車を止め、やさいやも撮影隊もさあいつでOK。

撮影隊もおばあちゃんが出て来るのを待ち構えた。

しかし、なかなかみのさんは出てこない。

聡美さんが再度、チャイムをならし、みのさんを呼びに行き、おばあちゃんはやっと出てきた。

聡美さんの撮影をするから自分は出て行っちゃいけないと勘違いしていたのだった。

照明をたいたり、大きなキャメラ、録音のマイクなどあって、いつもと勝手が違うせいか、おばあちゃんは買い物をしたら早々にさようならと家へ戻って行ってしまう。

私は玄関まで追いかけ、おばあちゃんに「聡美さんのつくるやさいについて感想など、少し話して欲しいのだけど。」と頼んだ。

私でいいのかしらと言いつつOKしてくれる。

おばあちゃんと聡美の会話がなんともいい感じでおもしろいと私は思っていた。

この時はやはりカメラを前に、普段してるような話は出なかったけど、いい感じで話しているところが撮れた。

これを撮り終えて、フィルムがまだ余っていた。

そこで聡美さんにここでコーヒーブレイクをしながら、今日のやさいや3人の記念撮影をしてもいいか聞くと、これまで休憩無しでやってきたのでちょうどいいということになる。

こうして私たちのこの日の撮影は終了。

が、やさい屋はまだまだ続く。

私たちは白樺温泉で風呂に入り、居酒屋元のママに電話。

夕御飯のこちらの予算言って交渉成立。

夕御飯を用意してもらい、たらふく食べて新得へ戻る。

 

2002年10月9日(水)

〜聡美さんのパンづくりの撮影〜

5:00AM、学舎の食肉加工場2階のパンやケーキが焼ける大きなオーブンのある部屋へ。

ライトを仕込むのに手間取る。

外はまだ暗いが、今日は曇りらしい。

いつも聡美さんはここで、自分の天然酵母でパンをつくっている。

聡美さんのパンはおいしい。

すごいおいしい時と普通においしい時とその時によって色々あるが私は大好きだ。

6:00AM、聡美さんがやってくる。昨日やさい屋で遅くまで働き、今日は早朝からパンづくりと少々ハードで眠たそうな顔。

今日はパン4本つくる予定だ。

小麦粉を計りボールに入れて水を加え、そして冷蔵庫に保管していた酵母のタネを入れ、こねていく。

粉が一つの固まりになっていく。

ある程度こねたら、台の上に出して20分程やさしくこねる。

私の想像とずいぶん違っていた。

酵母のタネってものはドロドロしてすごいニオイがあるもので、それを糠床のように大量につくってあり、たまにかきまわしてみたりして、一回一回そこから少しずつタネをとってパンをつくるのかと想像していた。

聡美さんのやり方は、要はヨーグルトを自分でつくるのと同じだった。

全部食べてしまわないで、次につくるためのタネを残しておくのだ。

お湯を湧かしコップに入れたものと、今こねたものを発砲スチロールにいっしょに入れて蓋を閉じる。

原始的な方法だ。そして約5時間ほどねかせる。

酵母が小麦粉を餌にして増えるのだ。これが一回目の発酵。

一番初めのタネは共働学舎自家製のヨーグルトに、はちみつ、お湯を加え、三晩ほどビニールハウスの電熱線の入っている苗床にねかせてつくったそうだ。

お昼過ぎ、学舎でつくった小麦の実をグラインダーで挽く。

小麦と言えば白い粉と思うが、初めてまじまじと実を見ると、茶色で固い。

これを加えると、風味のよいパンになるそうだ。

時間になり、蓋をあけてみる。

入れた時より増えている。

聡美は「あれー」って顔をしている。

「寝ぼけて水の分量多すぎたかもー」と聡美さん。

確かにベトベトした感じだ。

どんなパンができるのだろうか、楽しみだ。

次のタネを容器に入れ冷蔵庫にしまう。

残ったものに先ほどの挽いた小麦とまた小麦粉と塩を加え、また20分ほど丁寧にこねる。

そして同じ方法で2回目の発酵をさせて3時間ほどねかす。

時間になり開けて見てみる。

やはり水の分量の間違いでゆるい感じだが、確実に大きくなっていた。

これを4つに分け、手慣れた感じで外側の皮をつっぱらせるようにまるめていく。

濡れふきんをかけ15分程生地を休ませる。

成型作業。いよいよパンの形をつくる。まるを長くのばしていく。

形ができたら同じようにして3回目の発酵をさせる。

これを「ホイロ」という。

1時間後、見てみると少し膨らんだが、でろっとしていた。

「うーん」と言いながら、聡美さんはそれぞれの生地に3本ななめにクープという切れ目を入れる。

中のガスを抜くためと、パンの表面積を増やしパリパリ感を引き立てるためだそうだ。

中はしっとり、外はパリパリになりますように。

生地を天板に移し、210度で30分焼き上げる。

仕事の合間にパンをつくっていたので、焼き上がったのは夜7 時過ぎだった。格好は良いとは言えないが、焼きたてのパチパチする音も聞こえた。「失敗した」と聡美さんは言っていたけど、なかなかおいしいパンだった。

私たちは1本もらったが、あっという間に食べてしまった。

聡美さんは次の日もパンをつくったのであった。忙しい中、パンづくりのスイッチが入ってしまったようだ。

大成功のパンももらったのだが、姿も味も絶品だった。

映像には失敗作が映っているけど、大成功の時もあると見ている人に知らせないといけないなあ。

失敗もあれば上手くいく時もあるさということで、聡美さんらしくて私はよかったんじゃないかと思っている。

 

2002年10月10日(木)

〜憲一さんの仕事の下見〜

4:30AM起床。外は霧。

牛舎の中での作業は、光が少ないので撮影が難しい。

現場で判断することにした。

5:15AM時間通り憲一さんは牧場へやってきた。

この時点で雲が厚く、今日の撮影はやめた方がいいと判断。

明日に延期とした。

せっかく来たのだからもう一回、彼の仕事を中に入って見学させてもらうことに。

明日撮影するところを確認しながらワンクールを見学。

そのうち空の雲が切れてきて、朝の日ざしが差してきた。

牧場全体が見えるところを探して、刈り取られた後のデントコーン畑を歩く。

歩きながら、朝日がビカーと出てきて雲がどんどん流れていき、山の紅葉がくっきりとしてきた。

とても美しい光景だった。

撮影の小寺くんが「今撮ろう!」と言った。

「そうしよう。撮ろう!」と答え、急いで撮影の準備をし、広い画をワンカット撮った。

「明日はきっと朝からいい天気になるね。」と私は言った。

 

〜二人の夕食の撮影〜

宿舎で少し休憩。

午後、私は山田家の鍵をもらいに学舎へ。

18:00PMまだ二人とも帰ってきていない山田家へ。

中へ入ってライトの位置を決め、撮影準備。

夕方の搾乳が終わって、憲一さんが7時過ぎに帰宅。

「明るいね。」と第一声。40ワットの白熱灯だったのを、撮影のため明るくライティングしたためだ。

憲一さんはまずお風呂に入ってさっぱりしてから、音楽をかけ夕食の支度にかかる。

この日はカブの蒸したもの、ねぎとしゃけの炒めもの、昨日つくった大根の煮物。

野菜はもちろん聡美さんのつくったものだ。

憲一さんは手際良くちゃっちゃかと料理をしていく。

前にイタリアンレストランで働いていたという彼の料理道具はすごい。

包丁は小さいのから大きいのまで一揃名前入りで冷蔵庫の上にずらっと置いてある。

ボールやザルは美しく使い勝手のいいものが、りんごの木箱の棚の中に。

鍋はプロが使うようなシンプルでがっちりしたものが、細い木を格子状にして天井に着けたのものにぶらさげられている。

それらの道具たちが、けして広いとは言えないキッチンに使いやすそうに置かれている。

私も料理道具が大好きで、いいなと思うものが多く、しかもへえーと思うディスプレイ。

部屋を見ても、写真の飾り方、小さい飾りや普段使う文房具の置き方などなど、随所に憲一さん色が見られる。

見ている私も楽しい部屋です。

憲一さんはこの暮らしを楽しんでいるんだなあ。

聡美さんは「なるべく早く帰るから。」といつものように言ったらしいがやはり、この日もなかなか帰って来ず。

でも、憲一さんはいつもひたすら待っている。

本を読んだり、音楽を聴いたりしながら。

それどころか、温かいものを食べさせたいからということで、聡美さんが帰ってきてから炒めたり蒸したりすぐできるように準備している。

結婚っていいものだなあ。憲一さん曰く、期待しないで待っているのがコツだそうだ。

彼も以前何年か学舎にいたことがあった。

なかなか時間通りに物事が進まないこと、そこでやっていくことの大変さがわかるので、聡美さんのことを「よくやっているなあ。」と思うこともあるようで、聡美さんの良き理解者で協力者でもあるのが憲一さんなんだと私は思った。

「ただいまー」と服や顔に土をいっぱいつけて聡美さんが帰ってくる。今日も一日めいっぱい畑で働いてきた姿を、私は素敵に思う。

「泥んこ遊びして帰ってきた子供みたい。」と憲一さんも笑う。

早速憲一さんはカブを蒸し始める。

聡美さんはうろうろしている。

キッチンに立つ彼に「何をつくっているの?」と聞いたり、食卓に並んでいる食べ物をみて「いいメニューだ。」と一言つぶやく。

憲一さんがキッチンから「お風呂に先に入る?」と尋ねると「先に食べる!早く食べよう、食べよう!」と聡美さん。

「それは俺のセリフだよ。」と憲一さん。

聡美さんは廊下の方へ行き、日本酒の一升瓶を持ってきてテーブルの上へ置く。

8時半を過ぎてようやく夕食が始まる。

憲一さんは待ちくたびれてお腹すいてるだろうなあ。

まずは日本酒で二人で乾杯。話題は今食べている野菜のことになる。

「ねぎがとってもおいしいね。」「みりんだけで炒めるのもおいしいもんだね。…」そして話題は共働学舎の話になる。

「今日帰り際に、やさい屋のことが問題になって、それで遅くなったの。とても大変なわりに、儲けが少ないって。もっと効率良くやったらいいんじゃないかって。…」学舎の話は尽きない。

自分でつくった野菜を食べながら美味しいお酒を飲み、その日一日あったことを話す。

うーん、なんて幸せなこ となんだろう。

山田家の夕食の撮影をしながら私は思った。

 

2002年10月11日(金)

〜憲一さんの仕事の撮影〜

5:00AM、快晴。

今日は憲一さんより早く牧場へ向かう。

撮影準備をして、憲一さんを待ち構える。

ずいぶん寒くなってきたことを感じる。まだ暗い中、搾乳室を通り抜け、時間通りに彼はやってきた。

いつものように仕事を始める。

今日はやけに発情の牛が多い。

あちこちでモーモー凄い声で鳴いていて、のっかりあっている牛もいる。

私たち撮影隊も、憲一さんといっしょに牛たちの中に入る。

牛たちは何回か通って来た撮影隊に慣れたのか、近寄って来て興味深そうにしている。

私たちもその牛の尻を叩いて追ったりした。

大きなキャメラや録音のブームマイクに、牛が神経質になったらどうしようと少し心配していたのだが、これなら大丈夫だ。

「今日は早く仕事を始めたから余裕があるよ」と憲一さん。

「天気が良くてよかったね。紅葉もきれいに見えるよ。」と作業の合間に私に話しかける。

朝早くから、牛を相手に広い牛舎の中を動き回りながら働く彼の姿はカッコよく、美しい。

 

〜山田家食事会の撮影〜

山田家はよく友人を食事に招待してくれる。

今回は私と、学舎で経理の仕事をしている定岡美和さんがお呼ばれした。

結婚してからすぐに、聡美さんは夕食に来てくださいと招待してくれて、何回かお邪魔した。

いつもおいしく楽しく食べて飲み、いい時間を過ごす。

聡美さんは先に寝てしまい、憲一さんと色々話したりもした。

この時間が今回の撮影につながったんだなあ。

この日は4人でにぎやかな食事会。

聡美さんのつくったパンに、学舎のチーズやバターをつけて食べると、これまたうまい。

豚肉と白菜の鍋。

醤油にシークワッサーの原液をたらしていただく。

豚肉も学舎の豚だ。

素材がおいしいからシンプルな料理が味を引き立てる。

キャメラがあるというのに、美和ちゃんも聡美さんも憲一さんもいつもの通りだ。

ワインを飲みながら調子が上がり、いつものように思うままにあっちこっちに話題が飛ぶ。

さあ撮影だ!という時にキャメラのスイッチが故障してしまうアクシデント。

なんとか修理した時には、あらかた食べ終わりお酒も進み、お腹一杯で眠たくなってきた頃で、満足のいく撮影はできなかった。

これは残念ではあったけど、今回の撮影を通して私は大きな手ごたえを感じていた。

大きなキャメラの前で、人は自然でいられようはずがない。

いつものように自然にしているつもりでも、心のどこかに映されているという意識があるはず。

それが前提なのだ。

私は登場人物の人たちに、このキャメラでこういうところを撮りたいんですが、と事前に話をしに行く。

そして撮影にのぞむ。

こういうことをしているうちに、きっと登場人物の人たちは、だんだんとキャメラの前で自分を表現していっている、そんな感じを受けたのだ。

 

2002年10月12日(土)

〜機材整理と今回の撮影の反省会〜

撮影に関しては、撮る人を絞ったので、落ち着いてできた。

録音に関しても臨場感あふれる音、フィルムのまわっていない時でもいい会話を録音できた。

と、たのもしい発言。

技術的、スタッフのそれそれの役割と連係に関して、これから課題はたくさんあるけど、この映画はきっとおもしろいものになるはず。

がんばろう。

 

2002年10月13日(日)

〜窯パーティー 打ち上げ〜

新内小学校で10:00頃から始めるよ!とみんなにお知らせしていた。

今年のSHINTOKU空想の森映画祭で、おっちゃんこと斉藤修さんが中心となって、西村堅一さんといっしょに本格的な窯をつくったのだ。河原から大きな石を採ってきて組み上げ、その上にレンガを組み、パンやピザやケーキなど、何でも美味しく焼ける優れものの窯なのだ。しかもその姿も美しい。

時間に行ったが、まだ誰も来ていない。空は厚い雲に覆われている。

寒い。

火をたこうと、撮影隊のみんなで木を集めてきて、大きな柏の木の近くに焚き火をおこした。

昼前後になって、ぽつぽつと小寺夫妻、安田有里、西村夫妻、おっちゃん、定岡美和、聡美さん、学舎のチーズ工房の山田圭介、美紗子ちゃんが集まって来た。

みんなそれぞれ食べ物、飲み物を持ってきてのポットラックパーティーだ。

西村さんは、でっかい焚き火が大好きで、どんどん周りの枯れ木を切り出しては運んできて、あっという間に凄い焚き火をつくり「ガッハッハ」と嬉しそう。

聡美さんはまたパンをのタネを持ってきた。発酵がまだ終わっておらず、焚き火の近くに置いておいたら、西村さんに蹴り飛ばされて、危うく火の中へ入りそうになったが、無事に窯で焼き、みんなでおいしく食べた。

西村マサ子さんは、自分でつくったカボチャを持ってきた。

それをおっちゃんのダッチオーブンに入れ焚き火に放り込んだ。

これがまたホクホク甘くておいしい。

有里ちゃんはイカを持って来た。

おっちゃんと二人でさばいて、釜の中でホイル焼きをつくった。

お酒には最高だった。

来月出産予定の小寺カメラマンの奥さんの典子さんも、お酒を少し飲みながら、美味しそうに食べていた。

圭介さんたちは、チーズをたくさん持ってきてくれた。

ワインにぴったりだった。

厚い雲は流れてゆき、午後には太陽が顔を出してきた。

気持ちのいい秋の日になった。

この日久しぶりに会った有里ちゃんが、私に開口一番「壮大なこと思いついたの!」と夢中になってひとしきり話をした。

確かに壮大だった。

そして有里ちゃんらしかった。

仕事をやめた後、これからどういうことをしていこうかとずっと考えていたはずだ。

有里ちゃんの話を聞きながら、私は嬉しくて仕方がなかった。この話は次回に。

ああ新内小学校でのこういうところ撮りたいよなあと私が思っていると、藤本さんが隣にやってきて、「これをラストシーンにしようぜ!」と言った。

みんな楽器を持ってきていて、トランペット、ギターを弾いたり、ジンベドラムをたたいたり、いっしょにやったりと、なんかホントにゆったりした楽しい時間だった。映画祭以外でもここで、こうして集まり、おいしいものを食べるのもいいもだ。こんな感じで、みんなで夜10時近くまで焚き火と窯の周りで、食べて飲んでしゃべっていたのだった。

 

◆聡美さんと今年最後のやさい屋へ行く・二人で打ち上げ◆

10月15日、今年最後の火曜日のやさいやの日を、私は聡美さんといっしょに行った。

今年、私は4回目のやさい屋だ。

ロケの間協力してもらい、たくさんの野菜をいただいたお礼を、労働で返そうと思ったのと、撮影をさせてくれたみのさんのおばあちゃんに、一言お礼を言いたかったからだ。

昼ごはんのおにぎりも運転しながら食べ、休憩もとらず、この日は気合い入れてほぼ時間通りにまわった。

私は撮影が終わり、本当にほっとして、この日はなんだかとても飲みたかった。

聡美さんもやさい屋を自分で行く日が最後だった。

だから今日のやさい屋が終わったら、ワゴンの荷台で二人で飲もうということにしていた。

前に私がやさい屋に行った時、学舎に帰ってきてから聡美さんとワゴンの荷台で飲んだことが、なんだか妙に楽しかったので、またやりたいと思っていたのだ。

途中で寄る幕別町のお客さんの福田商店で、私と聡美さんは美味しいワインなどを買い込んだ。

みのさんにもお礼を言うことができ、夜9時過ぎ、ようやく全てのお宅への野菜の配達が終わった。

ここから学舎まで1時間ほどの帰り道。

その前に初めての休憩をとる。

コンビニの駐車場で、私は持参した道具でコーヒーを沸かして二人で飲んだ。

10時半ころ学舎へ到着。

荷台を片付けてすべて終わったところで、売れ残ったチーズと買ってきたワインで打ち上げだ。

「憲ちゃんに田代さんとやさい屋に行くと言ったら、じゃあまた遅くなるねと言われたから大丈夫。」と聡美さん。

「よーし、じゃあ飲もう!」ということで、クーラーボックスをテーブルにして、明かりをつけ、やさいワゴンの荷台の中で、私たちはとりとめもなくしゃべり、おいしいねえと言いながら飲んだ。

聡美さんが結婚してから、前のように朝まで飲み明かすこともできなくなるのかあと思っていたが、この晩は久しぶりだった。

私はとてもいい気分だった。

■次の撮影■

来年2月に、半月程撮影をしようと思っています。

何を撮るかは、今だいたい頭の中にあるのですが、これからじっくり練っていこうと思っています。

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