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空想の森便り 第1号 2002年9月

2002年9月 映画『空想の森』便り 第1号 監督:田代陽子

2002年冬から、ドキュメンタリー映画『空想の森』の撮影を本格的に始めました。

これから私たちスタッフは、この映画をみなさんの応援、ご協力をいただきながらつくっていきたいと思っています。

そこで、折々にどんな撮影をしているのか、どういうふうに映画をつくっているのかなどを、

みなさんにお知らせしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

■どんな人がつくっているのか■ スタッフを紹介します。まずは核になる3人を紹介したいと思います。

製作:藤本幸久

ドキュメンタリー映画監督。今まで3本の映画を製作した。

7年前に、東京から北海道の新得町新内の離農農家の家に移り住み、そこを映画づくりの拠点とした。

映画に、特にドキュメンタリー映画に馴染みのないところなので、地元新内の廃校になった新内小学校で1996年から映画祭をはじめた。

新得に住んでから2本のドキュメンタリー映画を16ミリフィルムでつくった。

『森と水のゆめ』は、新得町の山や森を舞台に地元のスタッフといっしょにつくった。

山のリーダーとして郵便局員だった西村堅一さん、音楽は農業を営む宇井宏さん、

ナレーションは同じく農業を営む能登真由美さん。

主人公は西村さんの妻、マサ子さんの父で、開拓農家だった小川豊之進さん。

『闇を掘る』は北海道の炭鉱に生きた人々の今を描いた。

キネマ旬報のその年の文化映画ベスト6位に選ばれ、

また2002年8月ハンガリーのレティーナ映画祭では準グランプリを受賞するなど高い評価を受けた。

映画『空想の森』のプロデューサー。

1996年にSHINTOKU空想の森映画祭を立ちあげ、実行委員長をしている。

映画祭は毎年6月に開催。今年で7回目となった。

 

撮影:小寺卓矢

写真家。

阿寒の森がフィールド。

森の中の木々や生き物たちを見つめ続け、そこから自分たちが生きている今の世界を考えている。

繊細な写真を撮る。

藤本監督作品『森と水のゆめ』の2年目の撮影の時、スチール写真の撮影など、現場スタッフとなった。

SHINTOKU空想の森映画祭のスタッフでもあり、映画祭がきっかけで今の奥さんと知り合い結婚。

『空想の森』で初めて映画のカメラをまわすことに挑戦している。

 

監督:田代陽子

1回目のSHINTOKU空想の森映画祭に参加したことがきっかけで『森と水のゆめ』のスタッフとなる。

スケジュールづくり、食料計画、など撮影を進めていけるよう準備する助監督として映画づくりに携わる。

その後、3回目の映画祭から事務局長として映画祭をつくっていくことに力を注ぐ。

『闇を掘る』では1年間、編集作業から仕上げまで携わる。

2本の作品を通して、映画の撮影現場から最後に作品が完成するまでの一連の過程を経験した。

そして自分たちの映画をつくりたいと思い、初めて自分の映画づくりに挑戦している。

■どんな映画をつくろうとしているのか■

〜主役は4人の女性たち〜

舞台は日本の北海道は十勝、新得辺り。

主な登場人物は、新得共働学舎農場で野菜をつくっている山田聡美、会計の仕事をしている定岡美和。

共働学舎は、牛乳山とよばれる山のふもとで牛を飼い、乳をしぼり、その乳でチーズをつくったり、

野菜をつくったりして50人程の人たちが共に暮らしている農場です。

体に障がいがある人や心に病をもつ人たちといっしょに暮らしています。

現在、帯広で現代アート展デメーテルのスタッフとして働いている安田有里。

そしてこの映画をつくっている私、田代陽子の4人です。

私と聡美さんは本州から、北海道に移り住んできました。

安田さんと定岡さんは大学時代や、初めに就職した時に地元を離れ、そして戻ってきました。

それぞれ新得で毎年開催されている「SHINTOKU空想の森映画祭」のスタッフで、今はみんな30代になりました。

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